あわれみの情を育む
皆さんおはようございます、こんにちは、こんばんわ。
洗濯物を畳みながら、撮り溜めしたテレビを見ることが日々の楽しみになっています。バラエティ番組が多いのですが、「100分de名著」を見てハッとしたので書きたいと思います。
「100分de名著」とは名著を100分(25分番組✕4回)で説明する番組です。NHKで放送されています。専門家が解説をしながら、司会の伊集院光さんが分かりやすく噛み砕いたり、VTRで説明してくれます。けっこう面白いです。
恥ずかしながら、ルソーって誰だっけという程度の知識で見ていました。「法の精神?」「あれはロック?モンテスキューだっけ?」こんな感じ。・・・。そんな自分で大丈夫か?と思いつつ感じたことを書いていきます。自分の解釈なので間違っているかもしれません。その前提のもと軽く流して読んでいただけるとありがたいです。
ルソーは哲学者でエミールは教育について書かれた本です。第3回は「共感する力をどう育てるか」がテーマでした。内容を一言でいうと、「あわれみの心(人間の弱さ)が共感する力をうむ」という内容でした。番組の中でエミールを要潤さんが朗読します。
「かれは人々の不幸にたいして同情をおぼえると同時に、
そういう不幸をまぬがれている自分の幸福を感じる。
わたしたちをわたしたちの外にまでひろげさせ、
快い生活を送ってなおあまりあるわたしたちの活動力を
ほかのもののうえにそそがせる、
そういう力の状態にある自分をかれは感じる」
これに対して東京医科大学の西教授が解説をされています。
「人の不幸をあわれむ時、自分の幸福を感じるというは、
普通口にできないが、これでいいんだ。人間ってこういうもんだ。
余裕がある時は自分の力を不幸な人に使えば良い。」
自分は番組を見ながら、そうまのことを考えていました。そうまが障害を抱えたことは前向きに考えつつも「不幸」だったと思います。何だかんだ言って障害児になって「良かった」って言えないですもん。そんな「不幸」なそうまが生きる意味って何だ?とずっと考えてきました。そうまは自分で息することもできず、良くなることもないです。色んな方に支えながら生きています。税金を無駄に消費しているって言われたら、返答に詰まる自分がいます。街にそうまと出ると、可哀想と表情を崩してそうまを見る方がいます、拝んでくる方もいます。そうまは可哀想なのかな?そんなことないっ!って意地になっている自分がいました。
しかし、この番組を見ていて気づいたんです。ある人がそうまのことを知って「ああ可哀想。あの子に比べたらうちの子はまだ良いね」って思ったら、それはそうまが力づけたことになるんじゃないか?可哀想って思われてもいいんじゃないか?って思いました。そうまがどう思われても、結果的に幸せに近づければいいんじゃないかって。ちょっと卑屈かもしれませんが、新たな視点をもらった気がしました。
ではでは。