障害のある子どもの合理的配慮を考える集い 会議内容です
おはようございます、こんにちは、こんばんわ。
大分経ってしまいましたが、先日参加した「障害のある子どもの合理的配慮を考える集い」の報告をしたいと思います。 正確な報告は報告書に任せて、感じたところを中心に書いていこうと思います。
3つの事例
会議は学校へのつきそいの実態について当事者(保護者)からの報告がメインでした。報告は3事例がありました。保護者から直接報告があり、「現状を何とかしたい」という想いの強さを感じました。
1人目の事例は食事を加工する必要がある児童に対して学校が対応できない(他の学校では対応しているのに)という方針で保護者の付き添いが必要ということでした。
2人目と3人目の事例は看護師が常時配置されているのにも関わらず医療的ケアができず、結局保護者の付き添いを求められているということでした。
保護者と学校の認識のギャップ
3つの事例に共通していることは、保護者の認識と学校の認識にギャップがあることだと感じました。保護者と学校の立場にそれぞれ立って勝手に考えてみました。
保護者は医療的ケアを24時間365日対応しています。保護者はもちろん専門職ではなく、そこら辺にいる普通の親です。普通の親(みんなと同じ)という意識なので医療的ケアといっても当たり前の行為(おむつを変えるのと同じくらい)誰でもできる、ましてや看護師ならできるでしょと感じています。
その一方、学校や看護師としては医療的ケアは一歩間違えれば死。責任問題になります。子どもの安全を第一に考え、親の付き添いが必要ですと言いたいんじゃないかと思います。看護師も慣れた人ばかりではありません、医療的ケアって基本的に医者のやることじゃなかったっけ?と思っていたりもします。
お互いの立場を越えて
願いとしては、どんな子どもにも教育を受けさせて欲しいということです。集団での教育と個別での教育では得られるものが違います。どんな教育を受けるかで、子どもの未来や可能性が大きく変わると思います。
色んな壁があると思います。今できることを考えて実際に動いて欲しい。学校は責任が取れないのであれば、責任をどこかに任せちゃえばいい(医者の指示に従い、学校の看護師ではなく地域の小児専門の看護師を学校に導入して対応するとか)。保護者は完璧をを求めず、今は出来なくても将来の子どもたちのために一緒に取り組んでいく姿勢が必要なんだと思います。
そうまは今年4歳です。このまま生きていれば3年後には小学生。3年後、学校に通えているのか、どうなることやらです。もしかしたら、今回のような集まりに困っている当事者として登壇しているかも・・。。それはそれで面白いかもしれません(笑)。