ともに歩む日記 〜呼吸器と一緒に〜

主夫による6人家族の子育てブログです。呼吸器っ子もいます。思春期の子もいます。宇宙人みたいな子も、イヤイヤ期の乳幼児もいます。ときに真面目に、だいたい不真面目に日々感じたことを発信しています。

保育園入れなかった・・・終


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おはようございます、こんにちは、こんばんわ。

 

家庭内で風邪が蔓延しています。そうまは何とか崩れず頑張っています。今週は外出することが少ないので、生活を立て直すぞー。

 

さて、保育園の続きです。先日、入園ができなかった理由について書きました。ちょっとおさらい。大きくわけて3つです👇

 

1 感染症のリスクがあり、もし罹患してしまった場合重篤化する可能性が高い。

2 脳波がなく成長する希望がない。

3 異常状況が判別しにくい。

 

今日は感じたことを書こうと思います。

リスクに対する考え方の違い

どこかで書いたと思うのですが、そうまが髄膜炎になり障がいを負った際に医師から寿命は「5年」と宣告されました。先に逝ってしまうのだと考えると、とても悲しかったのですが、同時に覚悟ができました。「リスク承知で今しかできないことをやろう」「自分たちがまずしっかり生きよう、それがそうまと一緒に生きることに繋がる」と。旅行にも行きましたし、ディズニーランドにも行きました。楽しみながら、今をしっかり生きるということがそうまと生きることだと思っています。

そのような考えなので、保育園に通うになったとして、感染症にかかり、最悪逝ってしまうようなことがあったとしても後悔はないです。しかし、それは親だからできる覚悟なんだと思いました。そして、誰でも背負えるものでもないのだと。医療は医療的なリスクは極力ないようにという立場でしょうし、保育園という組織では背負いきれない責任というのもあるでしょう。

でも、リスク覚悟の上で受け入れて欲しかったというのが私の本音です。最悪のことがあったとしても「精一杯頑張ったよね」って言い合えるようなチームになりたかった。そうなれなかったのがとても残念です。

 

そうまの場合「安全に生活する」ことを考えたら、外出しないのが1番なんです。あきらかに感染症のリスクは下がるでしょう。ですが、「安全に生活する」ということが「生きる」ということなのでしょうか。何のために「生きる」のか。哲学になっちゃいますね(笑)。

 

受け入れる側も大変

園長先生から、障がい児保育が広がっていかない現実を聞きました。なかなか理解が進まないとも。とても疲れていらっしゃるように感じられました。障がい児や障がい児の親たちの想いをずっと背負ってきていて、その想いが大きな負担になっているのかなと感じました。

想いは力です。物事を変える大きな力だと思います。とても必要なものだけれども、いつか想いではなく世の中のシステムとして、障がいがあるなし関係なく保育できるようになっているといいなあと感じました。

 

ではでは。

 

 

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