誕生日
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
今日は先日誕生日を迎えたユマのパーティーをしました。
早いものでもう11歳。思春期に入りつつあって冷たい態度をとられることもありますが、元気です。元気であれば良いです。ただそれだけ。
いや片付けはちょっとやって欲しいかな・・・。なんて。
子どもたちにはそれぞれ生まれてくる時にドラマがあります。
ソウマは自宅出産でした。マイはすぐに病院に行けるようにと、病院の隣のウィークリーマンションを借りて出産を迎えました。ユマはまた一段とドラマチックでね。
今日はその話を書こうと思います。
親不孝
ユマが生まれた時、私は人生において大変な時期でした。
私の母のことなんですけどね。大きな別れを迎えようとしていました。
私は相当親不孝でしてね。懺悔させてください。
小さい頃から塾に行かせてもらい私立の高校に入学したものの不登校、中退。
引きこもり生活を経て、心理学を学びたいと大学に行きながら福祉関係の仕事に就職。親の期待や考えに沿わず勝手に生きていました。勝手なくせに、畳の部屋をフローリングにしてもらったり、部屋にエアコンをつけてもらったり、パソコンを買ってもらったり、バイクを買ってもらったり、そのバイクを保管しやすいように庭を改造してもらったり。歯の矯正を途中で止めちゃったり・・・。ああひどい。
そして、私が就職して結婚し落ち着いてきたころ、母に癌があることが分かったんです。その時、カミさんは実家に帰って出産の日を待っていました。私は毎日母のお見舞いに行く日々でした。
ユマの出産が2週間後となった日、母の主治医から呼び出され、母の病状を聞きました。「余命1ヶ月」。今まで好き勝手生きてきて、親に迷惑をかけてきて、これからと思っていたのに・・・。
生まれてくる子ども(初孫)を会わせることできないのか。
ショックで頭がクラクラしてました。
そのことをカミさんに電話しましてね。「慌てることない。自然に生まれてくればいいから」とね。そんなことを話していました。
しかし、その電話の3時間後、なんの予兆もなかったのに「生まれる〜」と連絡が。
私は大慌てでレンタカーで車を借り(レンタカーのお店の人に子どもが生まれるんですと話して、「おめでとう、気をつけてね」なんて言ってもらえましてね。ドラマのシーンみたいでした)、駆けつけました。運転する車の中で、消えていく命と生まれてくる命を感じて、喜んでいいのか、悲しんでいいのか、心の中はぐちゃぐちゃでした。
そして、ユマは生まれてきて、無事に母に会わせることができました。そして母は還っていったのでした。
あの時、ユマが生まれてこなかったら、母に会わせることはできなかったでしょう。人生初めての大きな別れに動揺していた私を心配してユマは早く来てくれたんだと思います。母に何も返せていないなか、初孫を見せることができた。恩返しが少しできたかなと。大袈裟ではなくユマは私を救ってくれました。
そんなユマも大きくなり、憎まれ口を叩くようになり、ときたまムキーっとさせられることもありますが、そんなときでも生まれてきてくれたときのことを思い出します。
そうなると怒れないよねえ。一生頭が上がらないだろうなあ(笑)。
ユマが誕生日を迎えたら、毎回そんな話をしています。「もうその話聞いたよ〜」なんて嫌がられても話をします。来年もね(笑)。
👆 生まれてきてくれてありがとう。
ではでは。