特別支援教育とは 分けない教育とは
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
今日は前回の続きです。
ソウマの学校が小学3年生以降は教育課程別のクラスになったこと、その理由として「コロナ対策」と説明がありました。
その説明に私は「先生が教育しやすくするためのものではないか」「ソウマはまた分けられてしまうのか」と疑ってしまいました。
疑っていても仕方がないので、昨日校長先生と話す機会があったので、聞いてみました。
校長先生のお話
「コロナ対策のためにクラスを教育課程別、少人数制にするってどういうことですか?」
「ソウマからしたら学年は4人と、もともと少ないです」
「教育課程別にするメリットって先生が教育しやすくなるということしか思いつかないのですがどういうことがありますか?」
いつもながら失礼な質問。クレーマーですな。
正直書くのためらいました(汗)。
そんな私に校長先生はさすがです。嫌な顔一つせず説明してくれました。感謝です。
「ある学年ではコロナのために少人数にクラスを分けると、一人になってしまう場合があるんです」
「その場合、学校での授業というより、家庭教師になってしまう」
「子ども同士の関わり合いをコロナになっても担保したいんです」
「ソウマくんには他の学年の子とも関われる機会でもあります」
って。
なるほど。そういうことですか。
私はソウマやソウマの学年のことは分かりますが、他の学年のことはよく分かってません。見えていない部分が大きかったです。
ソウマのことだけを前提にして考えちゃダメだったなあ。
変に疑ってすみませんでした。
色々な子どもと関わり合いながら学んで欲しいというのが私の願いですが、クラスを「教育課程別(能力別)」と、「学年別」という分け方があるんだということが分かりました。
私は学年で分けることにこだわっちゃった。地域の学校ではこれが普通ですからね。
でもこれって、ある意味、子どもたちを分けているってことなんですよね。
色々な子どもと関わり合いながら学ぶということだけを目的にするのであれば、これにこだわる必要はないんじゃないか。
「教育課程」も「学年」も分けずにごちゃまぜにしちゃえばいい。
それが難しければ基本は「教育課程別」のクラスで授業を受けて、グループ学習という形で「同じ学年」の子と関わる。地域の学校の個別支援級のクラスはこんな感じでやってますよね。
逆のパターンは地域の学校の部活動や委員会活動なんかが当てはまるかもしれませんね。
こだわりを越えて
校長先生と話し合って、2つのことがよく分かりました。
1つめは、私のこだわりがよく分かりました。
「分けられる」ということにとてもこだわりがあるんだなと。
いつも「分けられてきた」経験からくるものでしょうね。
過敏になっているんだろうなあ(涙)。
そして、2つめは、話し合いは大事ということ。
お互い見ているところが違うんですよね。どちらも大事。
教育って学校と子どもたち、その保護者の視点のどれも欠けてはいけないし、必要なんだと思います。
考えを主張するということは、自分の至らなさを自覚することでもあって、なかなかしんどいものですが、続けていきたいものです。
👆 今日は1日家で過ごしました。水族館の動画を見てもらいましたが、いまいちだったみたい。実際に行ったことなかったもんな。今度行ってみようね。
ではでは。
妻からのヒトコト
同じ学年でも取り組む課題が違うことがあるのは分かっていました。でもそれだと一人で課題に取り組む可能性があるってことまで想像できなかった。考えてみれば確かにあり得る話。一人でやるだけじゃつまんないよね。教育課程別の良さはわかった。ソウマのことだけ考えてちゃダメなんだなとちょっと反省しました。
じゃあグループ学習はどんな感じでグルーピングしていくんだろう。夫よ、今度はその辺をつっこんでみてくれたまえ。できたら色々な障害の子や同じ歳の子とかと関われたらいいな。