呼吸器の子が学校に行くということ
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
昨日の記事の続きを書こうと思います。
学校で呼吸器を利用している子どもには親が付きっきり問題です。
先日、学校と付添いについて話し合いました。結論としては、
常に保護者は同じ教室にいること。
今後は複数の先生が対応ができるようになったら検討可能かも。
というものでした。具体的な見通しはなし。
ポイントはどこか
話し合ってもどうも噛み合わない。具体的な話にならない。
どこかズレている。そんな感じがしました。私と学校とのズレはどこにあるのか、大事なところ、ポイントはどこなのか?
私が考える保護者が付き添う必要と思うポイントは一つです。ずばり「安全」。ソウマは自分で呼吸ができないので、呼吸器が止まったり、呼吸器が外れたりすると、生命の危機に直結します。
そして、先生や看護師さんは呼吸器には触れられないという横浜市のルールがある。なので、保護者の付添いが必要。 逆に言えば呼吸器の操作が必要なとき以外は保護者はいらないのではないか。
というとそうでもないみたい。ここからは推測です。学校としてのポイントは「安全」もあるとは思うのですが、ずばり「安心」なのではないか。逆に言えば「不安」なのではないか。
・ 変なところを触ると、呼吸が止まるのではないか(ないない)。
・ 体温が下がると、呼吸が止まるのではないか(ないない)。
・ 隕石が落ちてきたら、呼吸が止まるのではないか(そりゃどうしようもない)。
最後はふざけましたが、学校には「もし〇〇になったら危ないのではないか」「責任問題になったり、裁判沙汰になるのは嫌」という不安があるのではないか。
不安を考えだしたらキリがありません。
この考え方の怖いところは、はっきりとした言語化が難しいところ。何が起こるか分からない子という視点である限り不安は尽きないと思います。言語化できない不安は現実的なものではありません。実体がない幽霊と戦うようなものです。
変えていくために
呼吸器の子が学校に通うということは私が思った以上に壁が高いものでした。
そりゃそうです。こんなオッサン一人で学校や教育委員会と話し合い、物事が変わっていったり進んでいくぐらいであったのなら、そもそも私が仕事を辞めなきゃならないなんてないはず。
その壁は「呼吸器の子は学校の子じゃない」という過去の歴史や学校という組織なのかもしれない。うちやソウマだけでなく、多くの子どもたち、親御さんたちが立ち向かっている壁です。私はこの1ヶ月ちょっとの付添いでウンザリしてしまいましたが、何年も付き添っている先輩がいるかと思うと泣けてきます。どこまで親を追い詰めるのか。
正直甘く見てました。こりゃ私一人では無理です。どこか大事にしたくない。学校との関係を悪くしたくないという甘い気持ちがありました。これからは覚悟を決めて頑張ります。
ということで「呼吸器の子が学校に行くということ」シリーズ不定期ですが始めます。まずは「知る」ことから始めよう。そして、ブログなどを通して色んな人に「伝える」。多くの人の力があれば変わっていくはず。
同じような状況にある人たちに元気につながるといいなあ。そしてこれからの子どもたちが大人の都合で学校に行けないなんてならないようにしたい。
そしてゆくゆくは、どんな子どもも地域の学校に行けるように。
ではでは。