呼吸器の子が学校に行くということ ② やること整理
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
今日は呼吸器の子が学校に行くということ第二弾です。今後やっていくことを整理したのでそのことを書いていこうと思います。
前の記事 → http://souma.hatenablog.com/entry/2020/07/07/231740
次の記事 → http://souma.hatenablog.com/entry/2020/07/28/224412
みんなの生きやすさに
まず、このシリーズを立ち上げた目的みたいなものを書こうと思います。
どんな子も(障がいをもっていても)地域の学校に行けるようにしたい。
障がいを持った子が地域の学校に「普通」に通えることができるようになれば、障がいの子だけでなく、健常の子にもきっと良いと思うからです。その一助になればいいなと。
「障がい」に「普通」に触れていくと「個性」になっていきます。その子らしさにつながっていく。それは、自分と違う人を認めることになり、自分をも認めていくことにつながっていくのではないか。それはみんなの生きやすさにつながっていくのではないか。そんな想いがあります。
しかし、現状では学校の体制も整っておらず、そもそも画一的な今の教育の考え方そのものを変えていくことにもつながりかねず、かなり難しい。言うは易しかも。
それでも、誰かが声をあげないといけない。このままだと社会はおかしな方向にいっちゃうような気がして。
(この後、その想いをツラツラと書いていきますが、どうも話が大きく固くなっちゃう。とても長ったらしくなってしまったので、次の段落まで読み飛ばして良いです。お時間がある方だけどうぞ(笑) 。)
どうも生きづらい社会のように感じます。今の社会の生きづらさは「進歩主義」「合理主義」「生産性」という考えで表されると思います。急激に技術の進歩や便利さが進んだ裏で、勝ち組負け組と人々を分断してしまった。
幸せになれるのは、ほんの一握りの勝ち組の人。幸せになるためには誰かを叩いて不幸せにしないといられない。多くの人は頑張っても頑張っても、なぜか幸せになれない、幸せだと思えない。
誰だって幸せになりたいし、誰かに幸せになって欲しい。どうしたら幸せになれるのか。そのヒントをソウマは持っている気がします(大袈裟)。
そのヒントを皆さんに伝えて、少しでも幸せになって欲しいというのがこのブログを書いている理由でもあるわけですが。
ソウマは社会の尺度から完全に外れて、自分らしく生きてます。一人では何もできませんが、多くの人に支えられています。ソウマと普段から学校で一緒にいることで、「みんな違ってみんないい」「誰だって生きていい」と子どもたちは感じるんじゃないかなと思います。
言葉でいえば「多様性」「主体性」と言えるかもしれない。それを生きて証明しているのがソウマのような「障がい 」を抱えた人たちにあるのではないかな。学べることがたくさんあるのではないか。人生色々、勝ち負けばっかりじゃないです。
まずできること
この目的のために何ができるか。とりあえず、ソウマが特別支援学校に親の付添いなく行けるようにしていくことから始めたい。そこから変わっていくこともあるのではないか。自分のために行動することが、ゆくゆくはみんなのためにつながっていく。
動きをブログでなるべく残しておきます。それは記録として残すことで、上手くいった(上手くいかなかった)参考になったらいいなあと思ってです。また、同じような状況にある人たちの励みになったらいいなとも思います。
👆 さて何をしたらいいかな。カミさんとアイディア出し。思いつくままをカードに書きます。私は迷ったらこれをします。とにかく言葉にして書く。ありえない発想でもいいから書く。そうすることで視野が広くなり整理もできます。書かれたカードを分類して出来そうなものからやっていく。
分類すると「知る」「伝える」「つながる」の3つに分けることができました。
呼吸器の子が学校に行くことはかなりハードルがあります。私はそのハードルを知りませんでした。まずはそれを知りたい。どういう状況なのか。どういったことが課題なのか。
そしてそれを多くの人に伝えて、知ってほしい。
さらに、教育という大きな相手を変えていくためには一人では何もできません。色々な立場の人とつながっていきたい。
この3つが大きな流れになれば、きっと変わっていくはずと願って。
長くなっちゃいました。すみません。
読んでいただいてありがとうございました。
ではでは。