枠に収まらない男
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
今日はデイサービスに行くので、学校休み。
先週救急搬送騒ぎがあったのでデイサービスの方と振り返りをしました。
どんなことがあったかというと、
心拍が上がり(最高130台)、全身が波打つような動き、37℃を超える熱
でした。
こういった症状をどう見立てるか、
そしてどう予防していき、
もしも再び起こった時にどう対応するのか
これを話し合ってきました。
忙しいでしょうに2時間近く時間とってもらいました。
脳波問題
今回の症状の見立ては主治医の先生とデイサービスの見立ては違うものでした。
主治医の先生「熱が出たことによる(脳とは関係ない)動き」という見立て。
「脳波が平坦なのでけいれん発作ではない」「体を冷やして、見守ること」「酸素の値がずっと悪ければ救急車」といったものでした。
看護師さんは、けいれん発作ではないかという見立て。
ソウマの変化している反応や成長から脳波が平坦なはずはない。
覚醒していたり発作っぽいときに検査をしたら違う結果になるのではといったものでした。
この脳波あるない問題はずっとあるもので、私や妻は主治医の先生とデイサービスや家に来てくれる看護師さんとの間に挟まれてました。
親としても脳波があるのではという期待があったので(👇過去のブログでその辺の気持ちについて書きました)、主治医の先生は看護師さんの意見も含めて脳波のことは度々相談してきましたが、主治医の先生からは上に書いたような同じ答えばかり。「けいれん発作のための治療薬は効果がない」って。
「自分で呼吸するようになったんです」
「誕生日のケーキのろうそくを自分で吹き消しました」
「視線入力のゲームをこんなにできるようになりました」
色々なエピソードを交えながら、「脳波あるんじゃね?」と相談してきましたが、同じ答えでした。
「脳波は平坦」と言われ続けると、色々できるようになったと感じていることさえも「脳とは関係ない、たまたま動いただけ」と診断されている気がして悲しい。
ソウマに働きかけていることも、ソウマとともにしてきたことも意味がないって言われているようで悲しい。
そんなやりとりを繰り返していたら、次第にもういいやと思うようになりました。脳波にこだわるのはやめようと。
医学的な診断はともかくソウマはソウマだと。
実際にソウマはソウマの意志で生きていると自分たちが実感してればいいやと。
しかし、私や妻はそう思えたとしても、デイサービスや看護師さんはそうは思えない。
そりゃ、苦しそうなソウマをただ見守るなんてキツい。何かしてあげたい。そう思うのは当然かもね。
ただ、モヤモヤしているものがあれば親に言わないで、主治医の先生に言ってよ。
そんな気持ちでした。
そんな本音のところも話をしました。
結果良ければ全て良し?
こんな繰り返し起こる脳波問題に一歩前進かもという動きがありました。
救急搬送された日の後に診察がありまして、診断は「熱による運動」と変わらなかったけれど、「ダイアップ」というけいれん発作を抑える座薬を処方してくれたんです。
見立ては違うけれど、対応は一緒。
これで結果が同じならまあいいか。
モヤモヤがモヤぐらいに減ったかねとデイサービスの人とは笑いました。
しかし、話はこれで終わらない・・・。
話し合いが終わって家に帰ってくると、学校から電話がありました。
「けいれいん発作ではないのであれば、ダイアップは入れることができない」
結果が良ければいいという話じゃない。
まあ、よく考えたらダイアップはけいれん発作のための薬なので、けいれん発作じゃなければ使う意味が分かんないってのは正論なのかも。
私としてはダイアップを何が何でも使ってくれっていうことではないので、まあいいんですがね。どうも話がややこしい。
私も大概普通の人生を歩めなかった方ですが、ソウマは私を越えてますな。
枠に収まらない男です。
ではでは。