学校との話し合い 自宅待機!?
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
今週も始まりました、月曜日。
今日はソウマの学校付き添い。
今日も先週の金曜日に引き続いて話し合いが続きました。
午前中はPTAの話し合い、午後は明後日のソウマの通院についての話し合いです。
話し合いはお互いの考えが通じ合うなど良いことが多いですが、やっぱり疲れますね。週明けから疲れてます(汗)。
今日の本題はここではないので、ざっくり書きます。
まずPTAのこと。ソウマの学校はPTAの本部役員は小学部の3年生の保護者が担うことになっています。ソウマは来年3年生。来年度に向けての引き継ぎの話でした。
ソウマの代の子どもたちは少ないので、何らかの役職をやらねばならない状況はありましたが、代表をやらせてもらうことになりました。
ただ、これは「我が家」が担うことなので「私」がではありません。
お察しの通り、何とかカミさんにやってもらえないか企んでいます(涙)。
ソウマの通院についての話し合いは明後日学校の先生方に付いてきてもらい主治医と話し合いをするための準備です。
ここでも話し合い・・・。来週も何かあった気がする・・・。
まあいいか、目の前のことに集中します。
さて、今日の本題。先週の金曜日、学校にて付き添いについて話が学校からありました。そのことに触れないわけにはいかないので書こうと思います。
以前、付き添いの改善・解消に向けて進めていくとの学校から話があった続きです。課題を整理したということでの話でした。
もうタイトルにものせているのでバレてますが、自宅待機への道筋が見えてきました!
そこに向けての課題は先生が痰の吸引ができるようになること、緊急時の対応も含めて主治医との連携が担保されること、親不在を想定した緊急時の対応シュミレーションをすることでした。
上記の課題がクリアとなれば、早ければ3月ぐらいから自宅待機となるそうです。
そこまで大きな課題ではないと思うので充分実現可能だと思います。
自宅待機・・・。
ずっと望んできていたことですが、いざ言われると何だか心の準備ができていなくて動揺してしまいました。ちょっと前まで「保護者控室での待機ではなくて、校内待機にさせてよ〜」とお願いしてたレベルだったのに、急転直下の進展でした。
自発呼吸もなく横浜市のモデル事業(学校外の看護師さんが派遣されて親の代わりに付き添いをする)の対象とならないソウマには長いこと付き添いが必要なんだろうなあと思っていました。中学生になる頃にはなくなっているといいなあくらい。それくらいのものと諦めてました。
しかし、よくよく考えれば、横浜市のマニュアルの改定により、ソウマに対しての医療的ケアは学校が全て行えるようになっています。だから、親は必要ないよねというのが簡単な道理です。うん、全然不思議な話じゃない。
しかし、この簡単な道理が簡単に行かないのが学校。それは2年間という短い(多くの方に比べたら、めちゃくちゃ短い方です)付き添い期間で感じた学校の難しさです。
特別支援学校といえども呼吸器の子が通うことは想定されておらず文化もない、そして医療的ケアの手技はできても、どの場面でどのように医療的ケアをするのかという判断をすることに慣れていない。さらに予測不能なことが起きたらどうするの?心配だから親にいてもらいたい。看護師いるけど。
これが学校の本音なんじゃないかな。
上に書いたのは私の勝手な妄想ですが、そんな事情を考えると、自宅待機がどれほど大きなことか分かってもらえると思います。しかも、自宅待機で終わらず自宅からの外出だったり仕事をできるようにすることも忘れてはいないとも話してもらいました(涙)。
先ほども書きましたが当然といえば当然です。できるんだからやってもらう、そもそも教育に親が出てくるのはおかしい。
だけれども、今は感謝の気持ちでいっぱいです。
これは学校の力であることはもちろんですが、2年間体調を崩さず学校に通ったソウマの力でもあると思います。それを支えてくれた訪問看護師さん、主治医や往診の先生の力でもありますね。それに、今まで理不尽さを抱えながら子どものために学校に付き添ってきた多くの親御さんの力でもありますね。
ソウマを支えてくれるみんなの力かなと感じました。
本当にありがとうございます。
👆 断腸の思いで仕事を辞めた直後の人生に迷っている私です。この時、すでにアラフォーでしたが、今から思うと「若いなあ」「何やってんだろう」(笑)。
今後このようなことがどの家庭でも起こらないように、どんな障がいをおうことになっても他の子と同じように教育を受けられるようにしていくために、今までと変わらずソウマと家族とやっていきます。
ではでは。
妻からのヒトコト
やっとここまできたかと言う感じです。これでも我が家は早い方だと思います。まずは自宅待機。その先を考えると色々と欲が出てきてしまいますが。期待し過ぎず、でも希望は持っていたいですね。